私たちは、自分で考えて生きているつもりでいます。
選び、判断し、決断している。
少なくとも、そう感じながら日々を過ごしています。
しかし自分を観察していくと実際には、思っている以上に私たちの行動や選択は
「前提」に従って動いているにすぎない事に気づけます。
「自分はこういう人間だ」
「これは自分には向いていない」
「今はタイミングじゃない」
これらは自分の考えや判断のように聞こえますが、実際には、無意識の自分を守るために作りだされてる言い訳のようなものです。
これは意見ではなく
その人の行動の癖、前提として設定されます。
前提の厄介なところは、通常、意識にのぼらないという点です。
前提は、思考のスタート地点に置かれている。
だから、どれだけ考えても、
議論を重ねても、
最終的に同じ結論に戻ってくる。
考えが足りないわけではない。
視野が狭いわけでもない。
ただ、
考え始める位置が、いつも同じなのです。
人生が動かない理由は、
能力や努力の問題ではないことがほとんどです。
前提が固定されている。
それだけで、選択肢は大きく制限されていきまく。それまでの前提の元に、選択していくので同じような結果が返ってきます。考えると当然なんですよね。
ここで重要なのは、
前提を否定し壊そうとしないことです。
壊そうとすると、人は防衛に入ります。
無意識は、自分を守るために存在してきてくれているからです。
大切なのは、まず自分を動かしている行動原理に気づくこと。
前提は、疑われた瞬間に、仮説のひとつになります。
それだけで、
思考の自由度は一段階上がる。
そしてもう一つ、
前提について見落とされがちな点があります。
前提とは、
その人の無意識の集積でもあるということです。
人は誰でも、
無意識に縛られて生きています。
ただ、その縛りはあまりに自然で、
自分では認識しづらい。
むしろ、
「当たり前すぎて見えない」
けれど、その無意識の部分にこそ、
その人の価値観、恐れ、欲求、
そして本質が表れています。
何を避け、
どこで止まり、
どんな言葉で自分を説明するのか。
それらはすべて、
無意識が選んでいる反応です。
だから前提に気づくということは、
自分の本質を暴くことではありません。
自分がどういう構造で動いているかを知る
というだけの話です。
それは、
責めるための材料ではなく、
選択肢を増やすための材料です。
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小さなワーク
最近よく使っている言葉を、一つ書き出してください。無意識に、何度も口にしている言葉です。
それが
• 事実か
• 解釈か
• 前提か
を分けてみる。
もし前提だったら、
語尾に「(仮)」をつけてみてください。
例)
「自分は営業が苦手」→「自分は営業が苦手(仮)」
たったそれだけで、
思考の可動域は確実に変わります。
前提は、
気づかれた瞬間から、
あなたを縛る力を失い始めます。なので、そこからあなたの自由への一歩がはじまります。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
こんな話に興味がある方はぜひ、次回にもご期待ください!あなたの実体験や感じてることなども聞かせてくださいね。楽しみが増えます。