東京で500円ランチを売りに夫婦で奥さんは体を壊し腎不全の透析を続けながら定食屋さんを営んでいるというテレビ番組を見た。
お客さんは500円という価格に喜んでお会計も健全に自分でやってくれる。
奥さんは
「喜んでもらえてるから値段はあげられない」と言う。
朝も仕込みで開店前の6時間前からお店にでて作業をする。
「喜んでもらえてる、、」
他人がわざわざ自分のところに来てくれて、美味しいとありがたがってくれて
なにかが満たされたような感情になる
「幸せ」みたいなものをそこに感じているのかもしれない。
でも、敢えて思ったのは
「それ、良心やそれしかできないことを見透かされて、#たかられてるだけじゃないの?」
もっと500円でなく
別の価値を育てて、人を雇い・時間を確保することができれば 夫婦で出かけたり、療養することだってできるじゃないのか?
十数年とその店を支え続けた信用があるのなら、今からなにか踏み切ってもお客さんは支えてくれるんじゃないの?
500円ランチの価値と自分たちの力の活かし方ついて真剣に考えてみる方がいいんじゃないのかな。
もし、それが叶わないなら
「安くメシを食うために夫婦の体と時間は搾取されてた」
ともいえるんじゃないのかな?
#本人がよければそれでいい
本当そうなのよ。でも呪いの言葉。
でもその事がわかってて、それを気づかぬフリして群がる上で伝えるありがとうって本当の感謝なのだろうか。
だからこそ、経営力や行動心理を学んで
適正な価値を提供できるようになる必要があると思う。
「子どもがいないから、店が子どものように育ててきた、育ちきらないけど 笑」
と、冗談めかして笑う。
本当は気づいてるんだろうな、とその時思った。
もっと早く立ち止まって熟考してれば引き返すこともできたのかも。本当はまだ遅くないけどね。
これって、周りの地域の経済にも実は悪影響だと思っている。その辺はまた今度。
なにより、これを美談のように描く放送にひそかに寒気が走った。