めためたにやられて。
グウの音もでないくらい負けた。
負けたのもわからないくらい負けていた。
人の心がわからなかった。わかってなかった。考えられてなかった
どうしていいかわからず
自分がなにをしたいのかもわからず
ぼんやりと朦朧とした状態で
「なにが悪いんだろう、、、」
「あのときぼくはなにができたのだろう」
そんな感じの答えがあるんだかないんだかすらわからない問いを自分に向けていたのか、吐きだされては消える煙のように吐き出していただけかもしれない。
とぼとぼ下見ながら駅からの茶沢通りをiphoneで音楽聞きながら帰る帰り道。
寝たんだか寝てないんだかわからないような状態で連日17、8時間働きつつ自分を見つめた。それまでにやったことのない仕事だったし、触れたことのない人に触れた。
負ける前のぼくが知っていると思った以上に世の中には色んな人がいてそれぞれにみな背景があった。
それまで知らない世界を知ったり、しらなかった感情に触れながら、ぼくは自分の視界から見る世界に色が戻っていくのを感じた。
くだらないこだわりと固定観念だった。
色をとりもどせて行ったのは知らないということを知り、自分がなにを知りたいのか知る事だった。
生まれてこの方、実感としてやったことがなかったけど自分と対話するということが糸口になった。
それにしても負けを認めるまでにも随分時間がかかったように思う。
なにをしてやれば自分が満たされていくのか考えてみる事。そのきっかけとして、めためたに負けた事はよかったといえる。