エモさの残像
今風にいうと エモい、エモさ。
つまりは心を動かされなにかに強烈に惹かれるような”衝動”
なにかを好きになるというぼくらに与えられた尊い感情
音楽、スポーツ、本、素敵な人、好きになった異性
カルチャー、場所、なんだっていい
なにによって衝動をえるかなんて人によって違う
人それぞれでいい。
それはたとえ、5歳の頃に感じたものだとしても
年を重ねるにつれ薄れていったとしても
忘れたとしても、捨てたつもりになってたとしても
決してなくなることはない。
気づかないふりしたって無理だ捨てた気になっても無駄
誰もが年をとるにつれ
「夢を叶えられるのは一握り」「将来が不安」「資格をとって安心したい」
「手に職をつけたい」「お金のため」「世間体のため」「親に心配かけたくない」「
みんな、あれこれ理由をつけて折り合いをつけて
子供の頃満員だったバスからみんな途中下車するように
自分の衝動を捨てたつもりになってる。
でも、決してなくなることはない。
あの日の衝動は、、、衝動を感じて心躍った自分は
生きている。
まるで満員のバスから
終点の頃にはポツンと後ろの方に取り残されてのってるみたいな感覚によくなる。
希望と期待を込めて語った話は一体なんだった?
あの楽しそうにしてた友達やまた明日と思ってわかれた友人たちはどこへいったのだろう。
みんな死んだ ってことにしておかないとつじつまがあわない。
ぼくはあの時感じた衝動をもったまま いまの年になっててよかった
実際にそう。そして時折吹き上げるビル風のように吹き付ける。
一度、心躍った衝動は 細胞をむしばみ消えることはない。
みんな世の中とか社会とと折り合いをつけるため捨てた事にして
忘れたふりしてるだけ。