明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)

今、もっともぼくの好きな言葉であり
常に自分に言い聞かせる言葉であり

相手があるときも、この前提で相手と向き合っています。

「禅語」 ですね
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禅語の明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)を知る

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かつて、期待してくれていた人たちに
心で向き合うことができなかった力不足を突きつけられ
思い悩みひどく心を痛めたぼくは
自分を訓練すると共に心理学や世の原理原則に興味を持ち傾倒しいきます。

その過程で 「禅語」にも興味をもつのですが、
そこで見つけたのがこの言葉 明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)
やさしさの中に厳しさのある言葉だと思います。

明珠とは、光り輝く宝物。

足りない足りないと 外へ探しにいくけれど

その宝物はすでに あなたの 掌の中にありますよ

という言葉。

自分を掘り下げる時にも大切ですが

ぼくの場合、
相手と向き合う時に特に力を発揮してくれます。

「この人のすでにもっている宝物はなんだろう?」

そこから観察しいくと 力を活かすための突破口が見出せるように思います。

逆にこの前提を忘れてしますと 問題がある人と向き合う、問題がある人がチームに
いるとき

自分自身が「グチを言ってしまう」
そんな救いのない状況に陥ってることがしばしば。

そんな時には相手も必ずうちに宝物をもっているという前提に立ち返り

自分の余計な感情をコントロールし、この人がなにをいいたいのか
ただ一点 そのことに集中します。

宝が 掌の中に在る ということは 突破口も必ずそこにあります。

これで大事なことは

一緒にやっていく ということが必ずしも幸せになるために必要な結論ではないということ。

道をわかつことも時に互いの幸せのために必要な結果である事もあります。

いかなる相手も掌に 明珠をもっている

妥協でなく最適解を見い出すために。

その事は忘れずにいたいところです。